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アジア近現代史-「世界史の誕生」以後の800年 (中公新書)

, 岩崎 育夫
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ペーパーバック : 393 ページ
作者 : 岩崎 育夫
出版社 : 中央公論新社; 世界史版 (2019/4/19)
コレクション : 本
ISBN-10 : 4121025385
フォーマット : Paperback, Hardcover, Epub, PDF, Kindle
発行日 : 2019/4/19
平均的な顧客フィードバック : 3.5 5つ星のうち(5人の読者)
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アジアという広い地域をテーマにしているために、ブータンとかブルネイのような全く触れられていない国やラオスのようにチョロチョロ程度にしか触れられていない国もあり、やはり中国、インドに関する項目が多いかなという感じでした。どちらかというと領土拡張、勢力拡張という点から見たアジア史であるために仕方がないといえば仕方ないのですが。アジアという広い地域をカバーしようとは欲張りといえば欲張り、無茶といえば無茶な試み。どうも消化不良感が残りました。まあ、新書ですのでページ数に制限がありますので仕方ありませんが。ツッコミ点1.著者は各言語を「文字によって」分類しています(P22)。ブラーフミー文字群に属するのがヒンディー語、タミル語など。漢字群に属するのは日本語、女真語など。「インドネシア語、ベトナム語、フィリピン語などはアジアから遠いヨーロッパ発のラテン・ギリシア文字群に属する」(P23)→こんな分類はありでしょうか?普通言語の分類は音韻面や文法面で行われます。文字面での分類は表面的な分類であり、たとえば中国の雲南出身の黒タイ族の文字はクメール文字からきているといわれていますが、黒タイ語はタイ・カダイ語それともクメール文字、どちらで分類をした方がいい?2.「ハノイを首都にリ国が登場して、中国をモデルにした国創りを行った。その後、チャン国が登場し、(以下省略)」(P29)→根本的に間違えです。当時の首都はタンロンであり、国名は大越です。リ国ではなくリ朝、チャン国ではなくチャン朝です。3.「ベトナムにレイ国」(P69)→Leです。大越国のレ朝。4.「明が遠征隊を派遣した目的は、東南アジアや南アジアや中東を征服するためでも、大規模な自由貿易のためでもなく、序章でみた、中国の冊封体制にこれらの地域を組み入れて朝貢を促すことだった」(P76)→大量の軍隊を差し向けておきながら征服目的でないとはまったく思えません。結局はLe Loiレ・ロイ率いる軍により明軍は敗退しています。ベトナムでは明の侵略と考えられています。恐らく著者の視点は「侵略した側」の視点なのでしょう。「侵略された側」はまた別の視点をもっています。5.「日本が東南アジアを占領したさいに、名目的に掲げた独立支援のためにとった二つの行動をみる。一つは、いくつかの国を『独立』させたことである」(P137 )「1945年3月にベトナム、カンボジア、同年4月にラオスを独立させ」(P137)→ベトナムで8月革命が起きて日本ファシスト軍から独立宣言をしたのは9月2日です。しかも1945年の時点でベトナムはまだ独立していませんでした。P149の表4-1のアジア各国の独立年のベトナムの記載も間違えです。その間違えを認めざる得ない記述を著者自身が本書の中でしています。「敗れたフランスは、1954年7月に北緯17度線で南北ベトナムに分け(軍事境界線)、ベトナム統一を国際監視委員会の下で2年後の1956年に実施される、南北ベトナムの全国選挙で決定するという内容の『ジュネーブ協定』を締結して撤退した(第一次インドシナ戦争、1946~54年。フランスは1953年にカンボジアとラオスの独立を認めた)。しかし、これでベトナムが独立を達成したのではなく、これからみるように、真の独立を勝ち取るためにアメリカとの戦争を戦うことになる」(P166)つまりベトナムの独立はベトナム戦争後ということです。6.「日本はアジアに何も残さなかったのだろうか。筆者はそうは考えない。経済発展に必要な一次資源確保のために、東南アジアの一部を植民地化し、東南アジアを占領したのは、ヨーロッパ諸国と全く同じだが、他方では、例えば、東南アジアの一部の独立を支援したことをみた」(P140)→たとえばベトナムの場合は仏印南進をし、敗戦後ベトナムに残った日本兵がいました。彼らは「日本国からの指示を受けて」、ベトミン軍に支援をし、独立のためにともに戦った「わけではありません」。「個人レベル」でべトミンに共感、あるいは時代の流れの中で抗仏戦争に参加をしたのです。個人の功績、業績をあたかも国の功績であると誤解させることにわたしは違和感をもちます。吉沢南『私たちの中のアジアの戦争』朝日選書参考

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